組織の概要 R4.4.1現在

名 称:牟呂用水土地改良区
所在地:愛知県新城市一鍬田字西浦7番地の2
受 益:970.8ha(豊橋市・豊川市・新城市)
総代数:45名
設 立:昭和27年4月1日
事 業:かんがい施設及び排水施設の維持管理
組合員:2,209名
職員数:3名(男性2名・女性1名)
役員数:18名(理事14名 監事4名)

沿 革

現在の豊橋市賀茂、豊川市金沢及び新城市八名井地区(三か村)は、常に干ばつに苦しみ用水路の開削が強く望まれていた。

明治20年2月 八名郡一鍬田村(海倉淵)から賀茂村(二本杉)に至る区間を賀茂用水として開削することを愛知県に出願し、同年4月に着手、現在の頭首工近くに井堰を設け賀茂村までの約8kmの水路を同年7月に完成させた。
しかし、同年9月の暴風雨襲来のため壊滅的な打撃を受け再使用不能となった。ちょうどこの時期、山口県人の毛利祥久が牟呂村地先の海面埋立てを計画し、牟呂村地先に新田を開くための水源を賀茂用水に頼ろうとしていた。毛利祥久は、三か村と数回の交渉の結果、水路を開削して共同引用する約束を結びその後、愛知県へ出願し同年11月工事に着手、翌年6月に完成した。
しかし、明治24年10月の大震災、翌年9月の大風水害のため埋立て新田及び豊川井堰は破壊され取水不可能となった。そのため、毛利祥久は明治26年にこの新田を名古屋市の神野金之助に売却し、明治27年に改築工事に着手、同年12月完成した。
明治38年には、水源から賀茂村に至る区域を牟呂用水普通水利組合とし、以下牟呂村神野新田に至る区域を下牟呂用水普通水利組合とし、井堰並びに幹線水路の管理をした。
昭和27年の土地改良法の施行により牟呂・下牟呂の両普通水利組合を合併し、牟呂用水土地改良区に組織変更した。第二次大戦後の国内事情は食糧増産が緊急課題となり、その対策の一環として昭和26年県営かんがい排水事業として牟呂用水路改修工事が採択され、その後、昭和34年計画変更により牟呂・松原両用水の頭首工を統合し、取水の合理化を図ることとした。
昭和36年には愛知用水公団事業として事業の承継がなされ、国営・県営・団体営事業を一括施行と決定された。当時豊橋一円の地域は水需要が増大傾向にあり公団承継と同時に本頭首工より都市用水を供給するよう計画変更され、愛知県が受託事業として継続実施し、昭和43年完成した。
本事業により、頭首工と水路改修総延長54.5km(うち約24kmは牟呂松原用水・牟呂用水)の全工程を総事業費19億円をもって完成し、農業・都市両用水の共同引用となり、牟呂松原頭首工及び森岡取水場までの水路は、水資源機構(旧水資源開発公団)が直轄管理し、森岡取水場より下流「最終樋門」までを当土地改良区が受託管理することとなった。

水利施設の状況

施設名

施設数量

範 囲

備 考

牟呂用水幹線(水路) 10.2km 森岡取水場〜最終樋門 受託管理
牟呂用水幹線(用水樋門) 6箇所 花田小横〜最終樋門
牟呂用水幹線(排水樋門) 3箇所 森岡取水場〜最終樋門
牟呂用水支線(用水路) 63km 新城市〜豊橋市地内 直轄管理
牟呂用水支線(排水路) 56km
揚水機場 1箇所 新城市八名井地内 直轄管理

●取水量 農業用水(最大) 6.04m3/S(牟呂用水・松原用水)

牟呂用水幹線(水路)

施設数量:10.2km
範 囲:森岡取水場〜最終樋門
備 考:受託管理

牟呂用水幹線(用水樋門)

施設数量:6箇所
範 囲:花田小横〜最終樋門
備 考:受託管理

牟呂用水幹線(排水樋門)

施設数量:3箇所
範 囲:森岡取水場〜最終樋門
備 考:受託管理

牟呂用水支線(用水路)

施設数量:63km
範 囲:新城市〜豊橋市地内
備 考:直轄管理

牟呂用水支線(排水路)

施設数量:56km
範 囲:新城市〜豊橋市地内
備 考:直轄管理

揚水機場

施設数量:1箇所
範 囲:新城市八名井地内
備 考:直轄管理

●取水量 農業用水(最大) 6.04m3/S(牟呂用水・松原用水)