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松原用水・牟呂用水は豊川の牟呂松原頭首工を取水口として、松原用水は右岸側、牟呂用水は左岸側の水田地帯を潤している。両用水は日本有数の一大農業地帯、東三河地域発展の一翼を担っているが、ここに至る道は「暴れ川」豊川との度重なる闘いがあった。 松原用水の起源は1567年に遡る。確たる水源がなく、干害が頻発していた豊川右岸地域を拓くため、豊川に堰を造ったことが松原用水の発端である。その後、1691年の大洪水で井堰が破壊され、位置を上流部に移し築かれた「日下部井堰」は、河道に対し直角に築く「一文字堰」であり、舟通しを兼ねた放流施設を設けることで洪水時の流失を防ぎ、併せて土砂堆積による機能低下を回避できた。長寿命化と利便性を兼ね備えた画期的な堰であり、その後180年間に亘り利用され続けた。 豊川左岸を潤す牟呂用水は、大規模な新田開発の用水源として1888年に開削された。難工事であったが、震災、台風水害等に対抗する2つの新技術により完成に至った。その1つ、「自在運転樋」は、用水路と河川との平面交差部に水の重量で放流量を自動調節する堰を設け、洪水時に堰の流失を防ぎ、併せて用水の安定取水を可能としたものである。もう1つの「人造石工法」は、まさ土と石灰と水を混ぜた「たたき」の中に自然石を浮かすことで、堅固で水密性の高い構造物を構築するもので、セメントが普及していない当時、歴史的意義が高い新技術であり、第1号樋管などの要所に用いられ、幾度の災害を乗り切り、現存している。 約450年前の開削から度重なる苦難を乗り越えてきた現在、松原用水・牟呂用水は適切な水管理のもと、統合された取水口から約1,600haの水田地帯に恵みの水を送り続けている。